パラドックスの森

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水とダイヤモンドのパラドックス

水とダイヤモンドのパラドックスとは?

この世の中には実用性のあるものとそうでないものがあります。実用性のあるものは高額で取引されるはずであって、そうでないものは低額で取引されるかあるいはタダで取引されるはずです。しかし、水は実用性があるのにただで取引され、逆にダイヤモンドは実用性がないのに高額で取引されています。どうしてこのような矛盾が起こるのでしょうか?

使用価値と交換価値

あらゆる商品は使用価値交換価値という二重の性質をもっています(商品の二重性)。前者は実用性のことで、後者はある商品がほかの商品と比較してどの程度価値があるかを示したものです。例えば、ボールペンには文字を書く機能が付いており、これがボールペンの使用価値です。またボールペンは他の物と交換する機能が付いています。これがボールペンの交換価値です。

水とダイヤモンドのパラドックスは次のようにいいかえられます。水には使用価値があるのに交換価値がなく、ダイヤモンドはその逆だといえます。図に表すと以下の通りです。

                                       
使用価値 交換価値
一般的な商品
×
ダイヤモンド ×

アダム・スミスの(Adam=Smith)の労働価値説

労働価格こそ真の価格

アダムスミスは労働価値説を最初に確立したことで有名で、彼のもっとも有名な著作は「国富論」「諸国民の富」です。彼は「国富論」で水とダイヤモンドのパラドックスについて次のような見解を示しています。

私たちは普段モノの価格を考えるときにお金に換算して考えます。この価格が貨幣価格であり、アダム・スミスはこれを「名目上の価格」としています。名目上の価格に対して「真の価格」は何かというと、それは労働価格であるというのです。商品の労働価格は、その商品を作るのにかかる「労苦と骨折り」によって決まる。つまり、商品の価格は、商品を作るのにどれだけの労働力が投入されるかによって決まるということです。水はどこにでも存在するものなので、採取するのにさほど労働力をかける必要はない。一方でダイヤモンドを採取するには、労働者が鉱山へ行って命をかける必要があるので、多大な労働力が必要です。したがって、労働価値説の観点から考えると、水とダイヤモンドの交換価値の差は、モノを生産するのに必要な労働力の差から生じていると考えられます。

しかし、労働価格が真の価格だとしても、すべての商品をその商品に投入された労働量で測るのは難しく、取引も難しくなってしまいます。取引をより簡潔にするには、ある商品の価格をほかの商品の量で測ればよいわけです。それでも複雑なので、基本的に商品の価格は貨幣によって測られるようになったのです。

労働価格は不変の価格

労働者にとって、ある一定量の労働に対する価値は常に一定です。なぜなら、一定量の労働によって失われる体力・休暇・娯楽などは常に一定だからです。したがって、労働価格は不変で、真の価値であることがいえるのです。しかし、労働者の給料が変化することは度々あります。なぜなら、労働者の給料は、雇用主にとってある一定量の労働が魅力的に見えるかどうかにかかっているからです。魅力的に見えれば労働価格が上がっているようにみえ、そうでない場合は下がっているように見えます。しかし、実際に変化しているのは財貨の価格であって、労働の価格は不変なのです。私たちが給料がいい、悪いを考えるのに基準とするのは、名目上の価格(時給・日給など)ではなく、労働価格と比べて賃金が妥当であるかなのです。

労働価値説の問題点

労働価値説は交換価値にのみ議論の的を置いていて、使用価値について何も述べていないことに問題があります。よって、水とダイヤモンドのパラドックスを労働価値説で解決したとは言えないのです。

限界革命が水とダイヤモンドのパラドックスを解決した

商品の価格を決定するのは限界効用

これまでは、水とダイヤモンドのパラドックスは使用価値によって交換価値を生み出す、つまり実用性が高いほど価格が高いという前提で議論されていました。しかし、この前提を否定して、交換価値を決定するのはモノの希少性と商品を一単位追加するときに得られる満足度(限界効用)であるとした人たちがいました。その中心人物が、ジェボンズ、メンガー、ワルラスの三人です。1870年代に三人はほとんど同時期にこの概念を提唱しており、この概念は限界革命と呼ばれます。

「一般的な水」と「具体的な水」は区別しなくてはならない

水は使用価値があるのに交換価値がないとしましたが、それは「一般的な水」だからです。一口に水といっても「一般的な水」「具合的な水」があり、その2つは区別しなくてはなりません。ここでいう「一般的な水」とは、ほぼ無限に存在する水のことをいい、「具体的な水」とは、たとえばコップ一杯の水や砂漠の中にある少量の水などのことです。「一般的な水」はほぼ無限に存在するので、人々にそれほど満足度をもたらしません。一方で、砂漠の中に一杯の水があるとしたら、その水は人々に大きな満足度をもたらすでしょう。「一般的な水」は希少性と限界効用が低く、「具体的な水」は希少性と限界効用が高いのです。したがって、「一般的な水」は価格がつかず、「具体的な水」には価格がつきます。

水とダイヤモンドのパラドックスが起こる原因は、「一般的な水」と「具体的な水」が区別されてないことにあり、物の価値を決める要因は使用価値にあるのではなく限界効用にあるのです。ダイヤモンドは使用価値がほとんどないのに高価なのは、それ自身がもたらす限界効用が大きいからです。

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